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『学童疎開』

熊本県に姉や兄と一緒に疎開した、渡久地吉子さん(疎開時謝花国民学校4年生)による手記。手記には、疎開の見送りに来ていた父や母の顔をみて泣きながら疎開先へ向かったこと、ひもじい・寒い・寂しい思いをした疎開先の熊本県芦北郡湯

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『対馬丸 沈む』の原画

対馬丸生存者の上原清さん(乗船時垣花国民学校4年生)は、2007年に自身の体験をまとめた『対馬丸 沈む』を出版。その際、「読者、特に犠牲になった学童と同年代の小学生にも分かりやすく事件を伝えたい」との強い思いから、絵画教

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『対馬丸体験記』

対馬丸生存者・遺族の上原哲夫さん(乗船時沖縄県立第二中学校3年生)による手記(複写)。哲夫さんの家族は、哲夫さん、弟の浩志さん(乗船時甲辰国民学校5年生)、母親、妹が対馬丸に乗船し母親と妹が犠牲となる。手記には、対馬丸撃

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『沖縄疎開学童遭難記』

対馬丸とともに出航した「和浦丸」に乗船していた、中村清和さん(乗船時真壁・兼城両国民学校引率訓導)による手記。学童を引率することになった経緯や、船団への敵潜水艦による魚雷攻撃の様子、対馬丸撃沈などについてつづられている。

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古堅小学校慰霊碑の写真

1990年8月22日、読谷村立古堅小学校の渡久山朝章校長(当時)らが中心となり、同校に建立された「古堅国民学校対馬丸遭難学童慰霊碑」の写真。前身の古堅国民学校は、対馬丸撃沈で20名の犠牲者を出した。県内でも学校内に対馬丸

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奄美大島調査活動の写真

2018年8月25日~27日の日程で、対馬丸記念会職員が奄美大島(鹿児島県)の宇検村・大和村にて、対馬丸生存者や犠牲者の漂着・埋葬場所の調査、関係者からの聞き取り調査を行った時の写真。対馬丸が撃沈された約1週間後、奄美大

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