1944年9月、沖縄から熊本県水俣市へ疎開した、首里第二・第三国民学校の学童らの宿舎となった湯出の旅館「永野温泉」に掛かっていた学校寮の看板。水俣市に疎開した約200人のうち約80人が湯出地区の湯の鶴温泉街に滞在、湯出国
続きを読む沖縄県学童疎開アルバム
1944年~1946年に撮影された、1944年に沖縄から九州(宮崎県・熊本県・大分県)へ疎開した学童たちの集合写真。写真は、「伊波国民学校」、「浦添国民学校」、「沖縄男子師範付属国民学校」、「嘉数国民学校」、「喜舎場国民
続きを読む学童疎開のためにつくられたカバン
疎開のために父がつくった真玉橋朝進さんの木製カバン。中には「昭和19年8月24日造 朝英」と記載されている。朝進さんは疎開準備をしていたが、対馬丸が撃沈されたという噂を聞いた家族が疎開を止め、行かなかった。 資料名 学童
続きを読む疎開時に使用した背のう
背中に負うカバン(リュックサック)。当時の子供たちが使用していた一般的な背のうで、「納屋」と記載されている。 資料名 疎開時に使用した背のう 年代 数量 1個 寸法(cm) 48.5×41.5 受入年度 受入方法 寄贈
続きを読む日奈久から母に送った手紙
熊本県に学童疎開した、安次富長昭さん(沖縄男子師範付属国民学校高等科在籍時に疎開)の資料(複製)。1945年2月7日付で、沖縄の母に送った手紙。手紙には、寂しさをしのぐ手立てとして母親や親類の写真を送ってくださいとつづら
続きを読む陸海空軍猛進撃ゲーム (双六)
『少年倶楽部 第25巻第12号』(1938年10月号)の付録の双六。中村星果案、槇戸浩画。ゲームの遊び方は、「空軍、戦車隊、歩兵部隊、海軍にわかれた四組が、各々自分の札二枚を協力させて、途中の障害(爆撃、空中戦、総攻撃、
続きを読む『良い子の友』 (1942年2月号)
1942年2月1日に小学館が発行した、低学年向けの月刊誌。表紙には、銃を持った男の子と赤十字の腕章を付けた女の子が描かれ、「コノ一戦 ナニガ ナンデモ ヤリヌクゾ」と記載されている。内容は、「ツヨイ海軍」、「満州の開拓村
続きを読むミヤコキセカエ
紙製の着せ替え人形。女の子やチャイナ服、慰問袋、ナギナタなどの絵が描かれている。館内にて展示。 資料名 ミヤコキセカエ 年代 数量 1枚 寸法(cm) 20.8×14.8 受入年度 2009年 受入方法 寄贈 提供者 石
続きを読む防空頭巾
熊本県に学童疎開した、安次富長昭さん(沖縄男子師範付属国民学校高等科在籍時に疎開)の資料。泊国民学校初等科5年生(小学5年生)の時に、裁縫の実習で縫ったもの。疎開地でも空襲警報で避難する時や、寒い日に通学する時に使用して
続きを読む寝巻き
対馬丸犠牲者の與座嘉廣くん(12歳/天妃国民学校)の遺品。対馬丸とともに出航した別の船に載っており、対馬丸が撃沈されたという噂を聞いた姉(寄贈者)が1944年の暮れに九州へ渡り、宮崎県の県庁に届いていた荷物の中から見つけ
続きを読む下駄
対馬丸犠牲者の勢理客ユキさん(33歳/那覇国民学校引率訓導)の遺品。わらでできている。ユキさんは、人情深い人だった。疎開前に「行きたくない」と末の子を抱きしめて、姉に言った言葉が最後だった。ユキさんの子供5名、義母、那覇
続きを読むジュラルミンの洗面器
熊本県に学童疎開した、安次富長昭さん(沖縄男子師範付属国民学校高等科在籍時に疎開)の資料。沖縄戦で生活用具が無いものと思い、終戦直後に熊本駅前にできた闇市で鍋などと一緒に買って沖縄に持ち帰ったもの。館内にて展示。 資料名
続きを読む