1944年9月、沖縄から熊本県水俣市へ疎開した、首里第二・第三国民学校の学童らの宿舎となった湯出の旅館「永野温泉」に掛かっていた学校寮の看板。水俣市に疎開した約200人のうち約80人が湯出地区の湯の鶴温泉街に滞在、湯出国民学校附属寮として永野温泉が「鶴泉寮」となった。館内にて展示。
資料名 | 湯出国民学校附属寮「鶴泉寮」看板 |
---|---|
年代 | |
数量 | 1枚 |
寸法(cm) | 152×29.7×2.5 |
受入年度 | 2008年 |
受入方法 | 寄贈 |
提供者 | 永野豊照・博子 |
1944年9月、沖縄から熊本県水俣市へ疎開した、首里第二・第三国民学校の学童らの宿舎となった湯出の旅館「永野温泉」に掛かっていた学校寮の看板。水俣市に疎開した約200人のうち約80人が湯出地区の湯の鶴温泉街に滞在、湯出国民学校附属寮として永野温泉が「鶴泉寮」となった。館内にて展示。
資料名 | 湯出国民学校附属寮「鶴泉寮」看板 |
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年代 | |
数量 | 1枚 |
寸法(cm) | 152×29.7×2.5 |
受入年度 | 2008年 |
受入方法 | 寄贈 |
提供者 | 永野豊照・博子 |