対馬丸犠牲者の勢理客ユキさん(33歳/那覇国民学校引率訓導)の遺品。わらでできている。ユキさんは、人情深い人だった。疎開前に「行きたくない」と末の子を抱きしめて、姉に言った言葉が最後だった。ユキさんの子供5名、義母、那覇
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対馬丸犠牲者の勢理客ユキさん(33歳/那覇国民学校引率訓導)の遺品。わらでできている。ユキさんは、人情深い人だった。疎開前に「行きたくない」と末の子を抱きしめて、姉に言った言葉が最後だった。ユキさんの子供5名、義母、那覇
続きを読む熊本県に学童疎開した、安次富長昭さん(沖縄男子師範付属国民学校高等科在籍時に疎開)の資料。沖縄戦で生活用具が無いものと思い、終戦直後に熊本駅前にできた闇市で鍋などと一緒に買って沖縄に持ち帰ったもの。館内にて展示。 資料名
続きを読む各ラベルには、「スパイに警戒せよ」、「洩らすな機密」、「一人一人が防諜戦士」というスローガンと絵が印刷されている。また、3枚に共通して「防諜」の文字がみられる。館内にて展示。 資料名 防諜標語マッチラベル 年代 数量 3
続きを読む対馬丸犠牲者の松田賀直さん(34歳/天妃国民学校引率訓導)の遺品。柳や竹で編まれた箱型の入れ物で、当時の旅行カバン。対馬丸とともに出航した別の船に載っており、荷物を詰めた二つの柳行李が家族のもとへ戻ってきた。賀直さんは、
続きを読む対馬丸犠牲者の上原弘子さん(10歳/甲辰国民学校)の遺品。赤い糸を使用して、練習をしたあとが残っている。館内にて展示。 資料名 運針の練習をした布 年代 数量 1枚 寸法(cm) 19.5×26.4 受入年度 2004年
続きを読む対馬丸犠牲者の渡口眞規くん(10歳/天妃国民学校)と眞英くん(8歳/天妃国民学校)兄弟の遺品。1942年頃に描いたもので、日本の軍機や航空母艦、アメリカとの空中戦の様子などがクレヨンで描かれている。それぞれの絵には、眞規
続きを読む対馬丸犠牲者の儀間眞雄くん(11歳/垣花国民学校)の遺品。薄い布でできた名札には、「沖垣花校 那覇市住吉町三丁目四十四番地 儀間眞雄(十二才) 初五」と記載されている。対馬丸とともに出航した別の船に載っており、長崎県へ迎
続きを読む長袖(少し厚め)の学生服で、「日本繊維協会 検査所 合格」と記載されたラベルが襟に貼られている。 資料名 学生服 年代 数量 1着 寸法(cm) 63×124.5 受入年度 2014年 受入方法 寄贈 提供者 池宮城晃
続きを読む対馬丸犠牲者の仲本朝篤くん(14歳/那覇国民学校)の遺品。甲辰国民学校に通っていた時の制服で、左胸ポケットの所に「仲本朝篤」と名前が記載されている。また右胸には、「大日本青少年団徽章」が付いている。対馬丸とともに出航した
続きを読むカードの裏に、「見まい 聞くまい 話すまい 国の機密心して」と記載され、両手で目をふさいだ男性と、両手で耳をふさいだ女性の絵が描かれている。館内にて展示。 資料名 時間割書き込みカード 年代 数量 1枚 寸法(cm) 1
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