1936年に文部省・日本書籍株式会社が発行した、尋常小学校の修身(現在の道徳に相当する)の教科書(復刻版)。内容は、「トモダチ」、「モノ ヲ ダイジ 二」、「オトウサン オカアサン」、「ヨイ コドモ」などの項目が掲載され
続きを読む『尋常小学修身書 巻1 児童用』
1918年に文部省・大阪書籍株式会社が発行した、尋常小学校の修身(現在の道徳に相当する)の教科書(復刻版)。内容は、「ヨク マナビ ヨク アソベ」、「オヤ ヲ タイセツ 二 セヨ」、「カテイ(家庭)」、「テンノウ ヘイカ
続きを読む『嗚々疎開船命拾われ今ありて』
一般疎開で「えさし丸」に乗船し熊本県に家族6名で疎開した、与儀喜裕さん(疎開時13歳)による手記(複写)。手記には、生まれ育った糸満や両親のこと、戦時下の沖縄での暮らし、疎開先の熊本県人吉での生活の様子などがつづられてい
続きを読む『那覇国民学校集団学童疎開について』
宮崎県に学童疎開した、大嶺政一さん(疎開時那覇国民学校高等科1年生)による手記(複写)。1944年9月に慌ただしく「室戸丸」に乗船し疎開先へ向かったことや、敵艦の出没情報で一週間近く瀬底島近くに船が停泊したこと、疎開先の
続きを読む『学童疎開』
宮崎県に学童疎開した、山田親佑さん(疎開時那覇国民学校引率訓導)による手記。1944年9月に学童37名・世話人2名と一緒に疎開先の宮崎県へ向かったことや、士気高揚を図るため「疎開学童の歌」を子供たちと一緒に作詞したことな
続きを読む『戦時中の泊地区』の原稿 (3)
『泊誌』を編集・発行するにあたり執筆された原稿(複写)。執筆は対馬丸遭難者遺族会初代会長の浦崎康華さん。対馬丸生存者・遺族の照屋恒さん(乗船時4歳)や、生存者の田場兼靖さん(乗船時泊国民学校5年生)ら泊地区の人々が体験し
続きを読む『疎開船遭難、身内喪失、予科練へ』
対馬丸生存者・遺族の湧川祐育さん(乗船時沖縄県立第二中学校2年生)による手記。対馬丸で母と兄二人が犠牲になったことや、家族の仇討ちをするために奈良空第17分隊へ入隊したこと、朝から晩まで猛訓練をしたことなどがつづられてい
続きを読む『学童疎開船 あゝ対馬丸』 (脚本)
1978年8月22日に出版された、『記録と証言 あゝ学童疎開船対馬丸』(編・著 新里清篤/発行 対馬丸遭難者遺族会)に掲載されている一部の証言を抜粋し、絵本・紙芝居用に手直しした脚本。遺族の上原伸規さんや、生存者の吉田董
続きを読む小桜の塔の写真
旭ヶ丘公園(那覇市若狭)に建立されている、対馬丸犠牲者の慰霊碑「小桜の塔」の写真。1959年6月9日の塔の移転改修・除幕式当日の写真で、左側に写っている女児は寄贈者。小桜の塔の建立は、那覇市の波之上護国寺住職の名幸芳章大
続きを読む対馬丸慰霊祭の写真
1999年8月22日、対馬丸犠牲者の慰霊碑「小桜の塔」(那覇市若狭旭ヶ丘公園)にて執り行われた、対馬丸慰霊祭の写真。記録が残る最初の慰霊祭は、1950年11月25日、沖縄群島政府の主催によって、群島政府構内(場所は現在の
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